父が亡くなった日

家族のこと

GWのちょうど中日。母と姉と電車で1時間半かけて、父の墓参りにいった。
ふとしたきっかけで、父が亡くなった日のことを思い出した。

私が、大好きな大好きな父の心臓を止めたんだ。

その日は金曜日。
会社について、パソコンを立ち上げた直後に母から電話が入った。父が倒れた、と。
見つけた時には心臓が止まっていて、今は病院で蘇生措置を施していると。

頭が真っ白になりながらも、とにかく病院に行った。
父は、処置をされているらしいが、会うこともできず。
当然医師から話を聞くこともできず、何がどうなっているのか、わからない中、ひたすらに無事を祈る。

まだ通勤中の人を見かける時間。呆然とその光景をみながら、姉や叔母などに連絡をした。
でも、弟とは連絡が取れない。
彼は、海外出張からの帰途についており飛行機に乗っていたのだ。
会社に連絡し、なんとか連絡つけられないか相談し、通じないとわかっていながらも、何度も何度も電話をかけた。
そうこうしている間に、叔父や叔母、遠方に住む姉一家も病院に到着した。

午後になり、あちこちに線がつながれた父に対面。
手の施しようがないと告げられた。

無理やり機械で心臓を動かしているが、このままだと、どんどん顔が浮腫んで、ひどいことになるから、機械を止めた方がよい、と言われた。
弟が戻ってくるまで、少なくともあと5時間はかかる。なんとか、もたせられないかと聞いたが、難しいとの回答。
機械を止めてもらうしかない。

そこにいた父と近しい家族は、母と姉と私の3人。
互いに目をかわし、ダメだね、ということを確認しあう。
でも、母も姉も口を開かない。

だから、私が言った。機械を止めてください、と。
そうして、父の心臓は止まり、あちこちつながれていたチューブが外された。

実感は、なかった。
でも、ただただ悲しかった。

今なら、あの時の私に言ってあげたい。
えらかったね、と。
辛い判断をちゃんとできて、それを言葉にした。
その責任を負うことを、選べたあなたを誇りに思う、と。

母も姉も、きっと私が止めてと言ったことすら、覚えていない。
でも、私は忘れないよ。私が「機械を止めてください」と言ったこと。

今回3人で出かけて、たとえば待ち合わせどうするや、どうやって電車乗り換えるなど、細かいことが全部、私任せ。無意識に人に判断を委ねてる。
それがなんだかとてもイヤで、食事はパスして、そっと2人と離れた。

〜 akoからのメッセージ 〜
ものごとを判断するって、とてもエネルギーを使う。
でも、必要な時に、きちんと判断するってとても大事。
判断を人に委ねるということは、大袈裟なようだけど、人生を人に委ねるということだ。
せっかく生まれてきたのだから、自分の人生を自分で生きよう。
迷っても、ちゃんと自分で決めよう。
「なんとなく、こっち」でいい。自分の心に従おう。



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